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一般常識

「達観」「俯瞰」「諦観」の意味と違い

「達観」「俯瞰」「諦観」の意味と違い

「達観」「俯瞰」「諦観」の意味と違い

言葉の使い分けで迷うことはよくありますが、「達観」「俯瞰」「諦観」の3語についても、どのように区別すべきかで頭を悩ませる人は多いでしょう。いずれも何かを「見る」ことについて言う言葉で、意味合いのイメージにも重なる部分があることから、適切に使い分けるのはそれほど容易ではありません。果たしてそれぞれはどのような意味で、どういった点が異なっているのでしょうか。

今回は「達観」「俯瞰」「諦観」の意味や違いを詳しく解説しますので、ぜひ参考にしてみてください。

「達観」とは

達観

「達観(たっかん)」とは、「広く大きな見通しを持っていること、遠い将来の情勢を見通すこと」という意味の言葉です。「彼はこの複雑な時勢を達観している」のように使われます。

もう1つの「達観」の意味は、「目先のことや細かいことにとらわれず、真理や道理を語ること」というものになります。また、喜怒哀楽など俗世間の事柄を超越することについても言います。この場合は、「彼女は10代前半だが、すでに人生を達観しているようだ」のように使われます。

「達観」の「達」は、「いたる、とどく」「成し遂げる」「つらぬく」などの意味を持ちます。
「達観」と「俯瞰」の違いは、「どの視点からの言葉か」というところにあります。「達観」の場合は主観的な視点での言葉である点で、「俯瞰」と使い分けられます。

「俯瞰」とは

俯瞰

「俯瞰(ふかん)」とは、「高い所から見下ろし眺めること」という意味の言葉です。「鳥瞰」と同義の言葉で、「山頂から周囲を俯瞰する」「建築提案のための敷地俯瞰図を作成する」のように使います。

「俯瞰」には、「広い視野で物事を見たり考えたりすること」という意味もあります。また、ある事柄や状況を客観視することについても言います。この場合の使い方は、「仕事上の問題について俯瞰して考える」のようになります。

「俯瞰」の「俯」は「身をかがめて下を向く」を、「瞰」は「高い所から下を眺める」を意味しています。

「俯瞰」と「達観」は意味合いに似た部分もありますが、上記のように「視点」が明確に違います。「達観」があくまで主観視点を貫く言葉なのに対し、「俯瞰」は客観視点が強調されている点が特徴です。

「諦観」とは

諦観

「諦観(ていかん)」とは本来仏教用語で、「本質をはっきり見極めること」を意味します。この場合の「諦」は「あきらか」「つまびらか」を意味し、「諦視」などと使う際も同じ意味になります。読み方は「たいかん」で、「世の移り変わりを諦観する」のように使われます。

もう1つの「諦観」の意味は、「事態を察してあきらめること」というものです。また、そのあきらめの境地についても言います。この場合の読みは「ていかん」で、「解決策が見つからないからと言って、諦観するのはまだ早い」などのように使われます。

仏教用語としての「諦観」と「達観」は似ていますが、「何を見るか」という点で区別できます。「達観」が「情勢」や「時勢」などを見通すことを言うのとは違い、「諦観」は「真理」や「物事の本質」を見ることについて言う言葉となっています。

「達観」「俯瞰」「諦観」の意味と違い

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