一般常識
「大宰府」「太宰府」の意味と違い
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「大宰府」「太宰府」の意味と違い
福岡県の太宰府市は、「太宰府天満宮」で知られる県内屈指の観光地ですが、街中にある案内では、「太宰府」だけでなく「大宰府」という表記も用いられています。読み方はどちらも「だざいふ」なのに、なぜ異なる2つの表記が存在するのでしょうか。また、どのような基準でこれらが使い分けられているのかも気になるところです。
そこで今回は、「大宰府」と「太宰府」の意味や違い、使い分けのポイントについて詳しく解説していきたいと思います。
「大宰府」とは
「大宰府」とは、「律令制下の日本で、九州地方を統轄するために筑後国に置かれた官庁」を意味する言葉です。現在の福岡県太宰府市に存在しました。国政の最高機関である「太政官(だいじょうかん)」の縮小版と言える組織で、外交や軍事の機能も担っており、「万葉集」では「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれています。九州の政治の中心として独立した勢力を誇りましたが、鎌倉時代に鎮西探題が置かれたことで、実権を失いました。
「太宰府」との違いは、「古代律令時代の役所、およびその遺跡に関する名称を指す」点にあります。古代の印影では「大宰之印」と書かれていることから、かつて「だざいふ」は「大宰府」の表記が一般的だったと考えられており、そこから律令時代の役所関連の表記は「大宰府」を使うという方式が定着しました。たとえば、「大宰府政庁跡」といった具合です。
「太宰府」とは
「太宰府」とは、「福岡県中西部にある市の名前」を意味する言葉です。「太宰府天満宮」ほか多くの史跡があり、毎年多数の観光客が訪れることで知られています。
「大宰府」との違いは、「中世以降の地名、または天満宮を指す」点にあります。上で述べたように、もともと「だざいふ」の表記は「大宰府」が一般的だったと考えられていますが、中世以降は「太宰府」と書かれる例が増えていきます。その事実に基づき、昭和30年代に九州大学の鏡山猛(かがみやまたけし)教授が、地名と天満宮には「太宰府」を、それ以外には「大宰府」の表記を使い始めました。
この区別を基本として、現在は「大宰府=律令制下の役所とその遺跡関連」、「太宰府=中世以降の地名と天満宮」と使い分ける方式が一般化しています。行政でも史跡については「大宰府政庁跡」、市の名前は「太宰府市」と、はっきり使い分けています。
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