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一般常識

「泥仕合」「泥試合」の意味と違い

「泥仕合」「泥試合」の意味と違い

「泥仕合」「泥試合」の意味と違い

「あの2人はひどい“どろじあい”を繰り広げた」のように、「どろじあい」という言葉はたまに聞かれるものです。しかし、これを文字で表す際には、「泥仕合」と「泥試合」の2つの表記が使われるようになっています。一体この2つのうち、どちらの表記が正しいのでしょうか。それとも両方とも正しく、それぞれの意味が異なっているのでしょうか。気になる人も多いでしょう。

そこで今回は、「泥仕合」と「泥試合」の意味や違いについて詳しく解説していきたいと思います。

「泥仕合」とは

泥仕合

「泥仕合」とは、「互いに相手の弱点や秘密などを暴き立てて、みにくく争うこと」という意味の言葉です。また、そうした争いについても言います。「2人のライバル候補者は、お互いを非難し合う泥仕合を演じた挙句、どちらも落選した」のように使われます。さらに「泥仕合」には、歌舞伎用語として、「舞台に泥田を作り、その中で立ち回りを演じることや、そうした立ち回り」の意味もあります。代表例としては、「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」の「長町裏の段」における、団七と義平次の立ち回りが挙げられます。もともとはこちらの意味が先にあり、そこから前者の意味合いが生じました。

「泥試合」との違いは、「泥仕合」の方が正式な表記である点にあります。上記のように、もともとは歌舞伎の立ち回りの形式について指しており、「いっしょに行う」という意味の「仕合」が使われていました。「試合」の語が当てられるようになったのは、その後のことになります。

「泥試合」とは

泥試合

「泥試合」とは、「お互いの非難や欠点の言い合いに終始するみにくい争い」といった意味の言葉です。「国会で繰り広げられた泥試合を見て、国民は皆あきれかえった」「SNS上で始まった論争は、やがて手の付けられない泥試合に発展した」のように使われます。また、「泥試合」には「内容のひどい試合」という意味もあり、この場合は「昨日見た草野球は、お互いミスを連発する泥試合だった」のような使い方をされます。

上でも述べたように、「泥試合」の表記は、本来正しくありません。もともと「泥仕合」と書くのが正解で、「試合」の語は後から当てられるようになったものです。そのせいで「内容のひどい試合」の意味も生まれましたが、こうした意味で使うのも、実際には間違いということになります。ですので、「みにくい争い」という意味の「泥仕合」のみを使うようにしておけば、間違いを指摘される恐れもないでしょう。

「泥仕合」「泥試合」の意味と違い

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