雑学
七福神とは?
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七福神とは?
日本人は、古くからさまざまなものを神様として祀ってきましたが、その1つに「七福神」と呼ばれるものがあります。現在でも縁起物として図像をよく見かけますが、大変身近な存在であるにも関わらず、詳しい内容についてはあまり浸透していない部分も多くなっています。果たして「七福神」とは、具体的にどういう神を指すのでしょうか。
本記事では、「七福神」とは何かや個々の神様の特徴、また、並び方の順番などについても解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
七福神とは?
「七福神(しちふくじん)」とは、古くから日本で信仰されている七柱の神の総称です。この七柱は、「毘沙門天(びしゃもんてん)」「弁財天(べんざいてん)」「寿老人(じゅろうじん)」「大黒天(だいこくてん)」「布袋尊(ほていそん)」「福禄寿(ふくろくじゅ)」「恵比須(えびす)」とされるのが一般的で、それぞれがヒンドゥー教や仏教などの異なる背景を持っています。
これらの神は、もともとは個別に祀られていましたが、時代とともにいくつかを組み合わせて信仰するケースが増えていきました。七柱のセットが完成したのは、室町時代の末ごろだと言われています。以来、「七福神」は災難を除き福を招くとして、農民や漁民などを中心に庶民の間で尊ばれてきました。現在でも、七柱を祀る寺社を順番にお参りしていく「七福神巡り」などの風習などが残っています。
毘沙門天(びしゃもんてん)
「七福神」のひとつである「毘沙門天」は、ヒンドゥー教の「クベーラ神」に由来しており、仏教に取り入れられて「毘沙門天」と呼ばれるようになりました。サンスクリット語では、「ヴァイシュラヴァナ」と呼ばれます。仏教においては天部の神とされ、「持国天」「増長天」「広目天」と共に「四天王」の一尊にも数えられますが、この場合は「多聞天(たもんてん)」と呼ばれます。
日本では、平安時代に庶民の間で毘沙門信仰が発生し、その後福の神としての地位が確立されました。江戸時代以降になると、特に勝負事にご利益がある神として崇められるようになります。全国の寺社で本尊として祀られていますが、主なところでは京都市の鞍馬寺、高槻市の神峯山寺、同じく高槻市の本山寺などがあります。
なお、「七福神」の並べ方の順番には決まりはありませんが、一般的には「毘沙門天」は、4番目に置かれることが多くなっています。
弁財天(べんざいてん)
元はヒンドゥー教の女神「サラスヴァティー」だったものが、護法神として仏教に取り込まれたのが、「弁財天」です。日本においては、「吉祥天」などさまざまな神の性質が盛り込まれ、インドや中国のものとは異なる特徴を持つようになりました。「神道の神は仏教の神の化身である」とする「本地垂迹説」においては、「市杵嶋姫命(いちきしまひめ)」と同一視されることが多くなっています。
本来は「弁才天」と書かれますが、日本では財宝神として信仰されるようになったことから、「財」の字が当てられるようになりました。「弁天」と呼ばれることもあります。「七福神」の中では唯一の女神であり、音楽や芸能、弁舌の神などともされます。「弁財天」を祀る主な寺院には、東京都の寛永寺、滋賀県の宝厳寺などがあります。
一般的な並べ方においては、3番目に置かれることが多くなっています。
寿老人(じゅろうじん)
「寿老人」は、中国の道教における神仙の1人です。伝説上の人物であり、「南極星(りゅうこつ座の恒星)」を人格化したものとも言われています。このため、「南極老人」とも呼ばれます。「老人」と付いているように年老いており、頭が長く、巻物をつけた杖をついた姿で描かれます。また、隣には1500年生きている鹿を連れているという特徴もあります。巻物には長寿の方法が記されており、人々に延命長寿の福徳を授けると言われます。
日本では、水墨画の像を通じて知られるようになり、やがて「七福神」の一柱として信仰されるに至ります。ただ、「毘沙門天」などのように個別に信仰されるということはなく、また「福禄寿」と同一視されることもあることから、場合によっては「吉祥天」や「猩々」が代わりとなるケースもありました。
一般的な並び方としては、「寿老人」は最後に置かれることが多くなっています。
大黒天(だいこくてん)
こちらは、ヒンドゥー教の「シヴァ神」にルーツを持つ神です。シヴァ神の化身である「マハーカーラ」がインド密教に取り入れられ、仏教の「大黒天」となりました。「大黒」の名は、「マハー(大)」「カーラ(時または黒)」の意味からきています。ヒンドゥー教では破壊神の性質を持ちますが、仏教においては「護法の神」としての性質を持っています。
日本には、最澄を通じて「台所の守護神」として持ち込まれ、全国に広まりました。やがて財福をもたらす神として、「大黒さん」の名で盛んに信仰されるようになります。「七福神」の一柱としては、頭巾をかぶって小槌と袋を持ち、米俵の上に座っているという姿が一般的です。「大黒天」を祀る主な社寺には、大阪府の大黒寺や奈良県の春日大社などがあります。
順番については、「恵比須」に次いで2番目に置かれることが多くなっています。
布袋尊(ほていそん)
「布袋」は、かつて中国に実在したと言われる仏僧です。本名を「契此(かいし)」と言い、「布袋」の呼び名は、常に頭陀袋を背負っていたことに由来しています。出身などについては分かっていませんが、唐代末から五代時代にかけて明州にいたとされています。図像にもよく描かれる太鼓腹がトレードマークで、さまざまな伝説や逸話が残されています。中国では弥勒菩薩の化身であるとする説が広まり、太鼓腹の弥勒仏が仏堂などに安置されるようになりました。
日本では最初禅画の題材として移入され、やがて庶民の間で福の神として崇められるようになります。肥満体は円満な人格や富貴繁栄を表し、袋は「堪忍袋」を表すとされています。
「七福神」の中の一般的な順番は、5番目となっています。
福禄寿(ふくろくじゅ)
「福禄寿」は、中国の道教において理想とされる「幸福・俸禄・長寿」のことですが、「七福神」の一柱としては、これら3つの徳を備えた神を指します。頭が長いのに対し身長は低く、長いひげを生やして経巻を結んだ杖を持ち、鶴や亀を従えた姿で描かれるのが一般的です。モデルとなった人物が北宋時代に存在したと言われていますが、確かではありません。
「南極星の化身」とも呼ばれることから、前述のように「寿老人」と混同されることもありますが、もともとは2つは別の神になります。日本では禅寺を通じて全国に広まり、室町時代に「七福神」の1つとして扱われるようになりました。一方、「寿老人」は、江戸時代の後半に「七福神」に加えられています。
一般的な順番においては、6番目に置かれることが多くなっています。
恵比寿・恵比須(えびす)
「恵比寿(恵比須)」は、「七福神」の中では唯一の、日本古来の神です。通常は、狩衣姿で右手に釣り竿を、左手に鯛を抱えた姿で描かれるようになっています。漁業の神として古くから祀られてきましたが、後には商売の神としても崇められるようになりました。「戎」や「夷」、「胡」、「蛭子」などさまざまな表記があり、「えびっさん」や「えべっさん」などと呼ばれることもあります。
「えびす」とみなされる神は多くありますが、イザナギ・イザナミの子である「蛭子命(ひるこのみこと)」や、大国主命の子である「事代主神(ことしろぬしのかみ)」とされることが多くなっています。全国の「えびす神社」で祀られていますが、兵庫県の舞子六神社には日本一大きいえびす石像が置かれており、商売繁盛の神社として信仰されています。
一般的な「七福神」の順番においては、「恵比寿」は最初に並べられることが多くなっています。
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