まとめ
47都道府県の名前の由来一覧
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47都道府県の名前の由来一覧
各地域に付けられた名前の由来を探るのは、意外な事実が知れて興味深いものです。47都道府県の名前にも、それぞれ謂れや名づけの理由があり、それらをひも解くことは、普段意識しない歴史や伝説などに触れるきっかけになります。自分が暮らす地域への理解を深める上でも有益ですし、日本という国自体を知ることにも役立つでしょう。
本記事では、47都道府県の名前の由来についてそれぞれ紹介していきますので、興味のある方はぜひ参考にしてみてください。
北海道
「北海道」という名称が誕生したのは明治2年8月15日で、それまで同地は「蝦夷地」や「蝦夷が島」などと呼ばれていました。この名前の名付け親は、江戸時代から明治にかけて探検家として名をはせた松浦武四郎です。松浦は当初「北加伊」という表記を提案していました(“カイ”はアイヌ語で「この地に生まれた人」の意)が、最終的には「海」の字を当てることで落ち着きました。「道」と付いているのは、律令制の行政区分名(東海道など)に由来します。
https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/bns/yurai.html
青森県
弘前藩は1624年(寛永元年)に、現在の青森市において港町の建築を開始しました。「青森」の名称は、その時に付けられたものです。名前の由来は、文字通りの「青い森」にあります。弘前藩の文書によると、当時その地には松が生い茂る森があっていつも青々としており、現地ではこれを「青森」と呼んでいました。その名称を地名として採用したというのが経緯のようです。ちなみに津軽方面では、古くは「森=小高い丘」を意味しており、実際には「青い丘」であったと考えられます。
https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kankyo/seikatsu/shitsumon01.html
https://www.nhk.or.jp/aomori-blog2/3020/475096.html
岩手県
「岩手県」の「岩手」の名称は、次のような伝説に由来すると言われます。盛岡市の東顕寺には、「三ツ石様」と呼ばれる3つの大石があって人々の信仰を集めていました。ある頃にその地域で羅刹という鬼が悪事を働くようになった際、困った住人たちは三ツ石様にお祈りして、羅刹を捕えてもらいます。石に縛り付けられた羅刹は許しを乞い、二度とこの地に来ないという証に三ツ石へ手形を残して去っていきました。それから同地を「岩手」と呼ぶようになったとのことです。
http://www.bunka.pref.iwate.jp/archive/p1495
宮城県
「宮城県」が制定されたのは明治5年で、それ以前の名称は「仙台県」でした、名前の直接の由来となったのは「宮城郡(奈良時代に仙台平野の中央部に置かれた群)」ですが、なぜ「宮城」というのかについては諸説あります。鹽竈神社などの「宮」と、多賀城などの「城」から来ているとする説や、「屯倉(みやけ=古代大和朝廷の直轄領)」がなまったとする説などが代表的です。また、「宮」は神社ではなく朝廷の役所を指すのではないかとする説もあります。
https://www.nhk.or.jp/sendai-blog/update/459647.html
47都道府県の名前の由来一覧
秋田県
「秋田県」の「秋田」は、現在の秋田市中心部にあった「秋田群」に由来します。秋田群は古代から存在する地名で、「秋田」はかつては「あいた」、さらに遡ると、「あぎた」と読まれていました。
「あぎた」の意味は、「高くなっている土地」であるとされます。「あぎ」は「上げ」が転じたもので、「た」は「と(場所)」が変化した言葉になります。漢字表記は当て字であり、特に意味はありません。実際に秋田群の中枢地域は、中規模の丘陵地帯となっています。
http://www.uraken.net/chimei/akita.html
山形県
「山形県」の「山形」の由来は、平安時代の辞書である「倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」によると、古来現在の山形市の南側を「山方」と呼んだことにあるとされます。
その辺りを「山方」と呼んだ理由は不明ですが、山形市の南には蔵王・瀧山(りゅうざん)という、古くから信仰の対象であった山々がそびえています。
その後、この「山方」という呼称はしばらく資料上から姿を消しますが、南北朝時代になって当地の政治状況が安定してくると、改めて「山形」という地名が登場しはじめてきます。
https://www.pref.yamagata.jp/020026/kensei/shoukai/yamagataken/profile.html
福島県
現在の「福島県」の原型となる自治体が誕生したのは明治9年で、「福島」の名称は当時の県庁所在地だった「福島町」に由来しています。この名称が登場するのは文禄2年(1593年)ごろで、戦国武将の木村吉清が居城を「杉目城」に遷した際、名前を「福島城」に改めたのが最初とされます。
つまり、「福島」の名づけ親は木村吉清ということですが、なぜこの名称が用いられたかについては明らかになっていません。
またこれとは別に、蒲生氏郷が杉目城を支城としていた頃、縁起の良い名前に変えようと「福島」の名を付けたとする説もあります。
https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/ken-no-sugata/kenmei-yurai.html
茨城県
「茨城県」の名称の直接の由来となったのは、県の設置当初県庁が置かれていた「茨城群」の地名です。「茨城群」の名はさらに「茨城郷」に由来しますが、この「茨城」は古くは「茨木」と書かれることもあり、「うばらき」などと読まれていました。
「茨城」の名称の由来について、「常陸国風土記」の逸話では次のように説明しています。すなわち、「黒坂命(くろさかのみこと)がこの地方に住まう逆賊を討つため、茨で城を築いた(もしくは茨で住み家を塞いだ)ことから、この地方を「茨城」と呼ぶようになった」とのことです。
https://www.pref.ibaraki.jp/mobile/profile/origin/index.html
栃木県
明治4年の廃藩置県後しばらくして、「栃木県」と「宇都宮県」の2県が野州(現在の栃木県)に置かれます。「栃木」の県名はこの時生まれますが、この名称は最初の県庁所在地である「栃木町」にちなむものでした。
一方、この「栃木」の名称自体の由来は不明で、諸説あります。「神明宮(かつての栃木町内にあった神社)の屋根の千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)が、遠くからだと10本に見えた(十千木)ため」とする説や、「トチノキがたくさん生えていたため(トチノキ→トチギ)」とする説などが言われています。
https://www.pref.tochigi.lg.jp/c05/kensei/aramashi/kenmin.html
群馬県
「群馬県」の「群馬」という名称は、もともと「車」と書かれていました。今から1,300年前の藤原京時代の資料には、現在の群馬県内に「車評(くるまのこおり)」という地域があったと記載されています。その後「評」は「群」に改められて「車群」となり、さらに奈良時代になって群名を漢字二字で表記する命が下ったことから、「車」は「群馬(くるま)」へと変わります。これが、群馬」の名称が誕生した由来です。
「群馬県」の県名自体は、明治4年の廃藩置県の際、大群である群馬郡を県の名に冠するのがふさわしいとの判断で付けられたものになります。
https://www.pref.gunma.jp/site/gunma-gaiyo/1059.html
埼玉県
「埼玉県」という県名は、設置当初埼玉郡岩槻町に県庁が置かれる予定であったことから付けられました。「埼玉」の地名は、「埼玉郡埼玉(さきたま)村(現在の行田市大字埼玉)」が発祥となっています。
「埼玉」の名称の由来については定かではなく、いくつかの説が唱えられています。代表的な説の1つは、「埼玉古墳群」から来たというもので、もう1つは「幸魂(さきみたま=幸福をもたらす神の働き)」から来たというものになります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C
千葉県
「千葉県」の「千葉」の由来についても、あまりはっきりしていません。「茅(ちがや)」が群生する土地であったことから、最初「茅生(ちぶ)」と呼ばれてそれが「ちば」に転じたとする説もあれば、「葉が多く重なる」という意味で「千葉」と呼ばれるようになったとする説もあります。
また、「ちば」は浸食しがちな地に見られやすい地名で、「潰れる」を意味する「つばゆ」に由来するとする説もあります。「千葉氏(この地の当主だった氏族)」に由来するとする説もありますが、実際は地名の方が先で、氏族名はそれにちなんだものになります。
https://www.pref.chiba.lg.jp/kkbunka/kenminnohi/panel/panel1.html
東京都
「東京」の名称は、慶応4年7月に「江戸」から改称されて誕生しました。名前の由来は、単純に「東にある都」の意味を込めたものになります。
「東京」の名称を初めて使用したのは、江戸後期の思想家佐藤信淵で、文政6年(1823年)の著書「混同秘策」においてでした。この中で佐藤は、江戸を「東京」と改称し、新たな都とすることを提唱しています。その後、この書に影響を受けた大久保利通が、江戸を東京と改めることを建言したとされています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC
神奈川県
「神奈川県」は、明治元年の9月に「神奈川府」から改称される形で誕生しました。県名の由来は、東海道筋で古くから宿場町として栄えた「神奈川宿」と、幕末に戸部町(現在の横浜市西区紅葉ケ丘)に置かれた「神奈川奉行所」にあります。
この「神奈川」の名称の直接の由来についても諸説あり、確かなことは分かっていません。上流が分からないという意味の「上無川」が訛ったという説もあれば、帷子川の表面が酸化鉄のせいで赤く見え、そこから「金川」と呼ばれたのが変化したとする説などもあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C
新潟県
「新潟県」は明治4年の廃藩置県を機に誕生しましたが、現在の領域が定まったのは明治19年になります。
この「新潟」という名称の由来は諸説あります。代表的な説は、次のようなものです。信濃川と阿賀野川の河口の中州近くにできた内湾を、もともと「潟」や「潟湖」と呼んでいました。そこへ新たに人が住むようになり、同地を「新しい潟→新潟」と呼ぶようになったというものです。
また、「新方」に由来するとする説もあります。これは最初別の地にあった集落が、新潟市近くに移ったことで同地域を「新方」と呼ぶようになり、そこから「新潟」に転じたとするものです。
https://www.okayamania.com/chimei/bangaihen/niigata.htm
富山県
「富山県」の「富山」の由来としてよく語られるのは、次のような説です。
もともと「富山」は「外山(郷)」と書かれており、これはこの地域が「呉羽丘陵」の外縁に位置することを指していました。その後佐々成政以降に城下町がこの地に移り、「外」を縁起の良い「富」に変えた「富山(ふせん)寺」の土地に城郭が築かれたことで、「富山」の名称が根付いたとされています。
https://kids.tokyo-shoseki.co.jp/kidsap/downloadfr1/htm/jsd38776.htm
石川県
「石川県」の「石川」の呼称は、「石の多い川」を表しています。
この「川」とは県最大の「手取川」のことで、上流から石を多く流すという性質上、古くは「石川」の名で呼ばれていました。それにより、手取川周辺地域も「石川」と呼ばれるようになり、「石川郡」が出来上がります。その後明治になって、金沢県庁が石川郡に移転したのを機に、群名にちなんで「石川県」としたのが由来になります。
https://kids.gakken.co.jp/jiten/dictionary01200155/
福井県
「福井県」の「福井」の名称は、次のような経緯でつけられたと言われています。
もともと現在の福井市のあたりは、足羽川の北岸に位置することから「足羽北庄」と呼ばれていました。それが松平忠昌(福井藩3代目藩主)の代になり、「北」の字が「敗北」につながり縁起が悪いとして、「福井」に改めたというものです。この時忠昌は天守台の上に井戸を掘り、これを「福井の井戸」と名付けたとされています。
「福井」が県名になったのは、明治14年に同県が誕生する際、県庁が城下町福井に置かれたことに由来します。
https://www.pref.fukui.lg.jp/muse/Cul-Hist/kikaku/kako/2021/20210515_haihusiryou.pdf
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000101393
山梨県
「山梨県」の設置は、明治4年の廃藩置県によって行われました。当初「甲府県」だったのが、改称されてこの名称となっています。
県名の由来は、律令制下の甲斐四郡の1つ「山梨群」にあります。「山梨群」の名の由来については、「同地に有名な梨の古木があり、ヤマナシがたくさん採れたことからこの名が付いた」とする伝説がありますが、真偽は不明です。また、「山ならす」という甲府盆地の高低の少なさを表す言葉が、次第に「やまなし」へ変化したとする説もあります。
https://www.pref.yamanashi.jp/miryoku/shokai/symbole.html
長野県
「長野県」は、明治4年6月22日に善光寺領が「中野県」へ編入され、県庁が長野に移転したのを機に発足しました。
この「長野」の地名の由来は、「善光寺平」にあります。善光寺平は長野盆地の別称ですが、長い傾斜地であったため、「長野(長い野)」とも呼ばれました。つまり、「長野」の名は文字通り「長い野」を表しているということになります。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000186148
岐阜県
「岐阜」の県名の由来として有名なのは、織田信長にまつわるものです。それによると、信長が美濃を攻略した際、沢彦宗恩(政秀寺の禅僧)の提案した3つの名から「岐阜」を選び、稲葉山城下付近の「井口(いのくち)」を改称したとされています。「岐」は周の文王が起こった「岐山」を、「阜」は儒学発祥の地である「曲阜」を指し、「太平と学問の地」とすることを目指したというのが命名の由来です。
一方、それ以前にすでに「岐阜」の名が使われていたとする説もあり、実際の由来は定かではありません。
https://www.pref.gifu.lg.jp/page/109.html
静岡県
「静岡県」の「静岡」という名称は、明治に入ってから作られたものです。その由来は、次のようなものになります。
それまで同地は「駿府」や「府中」と呼ばれており、明治維新後は「駿府府中藩」となりました。しかし、「府中」は厳密には地名とは呼べないということで、新政府に名称変更を命じられます。そこで藩内で討議が行われ、「静、静城、静岡」の候補を示した結果、「静岡」が採用されたというものです。
この「静」の語源は、静岡市近くにある「賤機(しずはた)山」であるとされます。「賤」は「いやしい」の意味を持つことからこれを嫌い、「静」の字に変えたと言われています。
http://www.pref.shizuoka.jp/kensei/information/kengaiyo/1007355.html
愛知県
「愛知県」の名称の直接の由来は、現在の名古屋市の中心部が属していた旧「愛知郡」ですが、この「愛知」の語源は万葉集中の歌にあるとされます。
万葉集巻三には、高市黒人(たけちのくろひと)の「桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴き渡る」という歌が収録されています。「年魚市潟(あゆちがた)」とは愛知郡に広がっていた干潟のことで、この「あゆち」が「あいち」に転じ、律令制下で群名に採用されたと言われています。
https://www.pref.aichi.jp/soshiki/koho/0000007714.html
三重県
「三重県」の「三重」は、以下のような「古事記」の記述に由来するとの説が広く語られています。
倭建命(やまとたけるのみこと)は東国平定の途中、鈴鹿の能褒野(のぼの)で息を引き取りました。そこに至る手前で次第に体が弱ってきたさまを、「わが足三重のまかりなして、いと疲れたり(足が三重に曲がるほど疲労した)」と表現しており、そこから同地を「三重」と呼ぶようになったとのことです。
またこれとは別に、「み」は「水」を、「え(へ)」は「辺」を指すとし、「鈴鹿川の水辺」に由来するという説もあります。
https://www.pref.mie.lg.jp/mb/yurai.htm
滋賀県
「滋賀県」の「滋賀」は、近江国の「滋賀群」に由来しています。
この「滋賀群」の名の由来は諸説あり、次のようなものが代表的です。すなわち、「石処(シカ=石の多いところ)」から来たという説、「砂処(スカ=砂州や低湿地のこと)」から来たという説、そして「志賀島」から来たという説の3つになります。
このうち有力視されるのは「シカ」由来説で、他地域で「シガ」と名の付くところも石が多い特徴を持つことから、ここも同様のことが当てはまるのではないかと言われています。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000092351
京都府
古来「京(京師)」という呼称は、東アジアで「天子の住む都」や「首都」を指すものとしてよく使われてきました。その後「京都(けいと)」という言葉が生まれ、これが日本にも輸入されて飛鳥京などに対し使用されます。
平安時代末期になると、この言葉は平安京を指す固有名詞として多用されるようになりました。この頃は「京師」なども併用されていましたが、次第に「京都」や「京の都」の呼称が定着し、現在の「京都」が生まれたというのが由来になります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD
大阪府
「大阪府」の「大阪」は、もともとは「大坂」と書かれていました。「阪」の字に変更された経緯は不明ですが、本来「坂」であったことから分かるように、一帯には坂が多く存在していました。これは、大阪湾内に散在する島々が土砂の堆積によってつながり、方々に小さな傾斜地ができたことが原因です。
ここから同地は、まず「小坂(おざか)」と呼ばれるようになります。「大坂」へ変わったのは、豊臣秀吉が大阪城を建てる際、「小」の字を嫌ったためとする話もありますが、真偽は定かではありません。
https://kids.tokyo-shoseki.co.jp/kidsap/downloadfr1/htm/jsd38787.htm
兵庫県
「兵庫県」の「兵庫」の名称の由来は、明治政府の発足後、兵庫と呼ばれる地域(現在の神戸市兵庫区)に役所が置かれたことにあります。このあたりにあった「兵庫津」という港は開港場として指定され、当時非常に栄えていました。慶応4年、この地に周辺の旧幕府領を直轄する兵庫鎮台が置かれ、これがのちに兵庫県へと姿を変えます。
「兵庫」という言葉の由来については、天智天皇の時代に置かれていた「つわものぐら(兵庫)」にあるとする説が有力です。
https://web.pref.hyogo.lg.jp/kk32/pa13_000000023.html
奈良県
「奈良県」という県名が誕生した由来は、「奈良町」にあります。奈良町は平安時代から鎌倉時代にかけて、東大寺などの門前町として形成された町で、江戸時代には幕府の奉行所が置かれるなど、古くから政治の中心地としての地位を占めていました。
「奈良」という地名の語源は諸説あるものの、「平らにする」を意味する「なら」にあるとする説が有力です。「草木を踏み“なら”して平らにする」の意で、傾斜の緩やかなひらたい土地を指すと考えられています。
https://kids.tokyo-shoseki.co.jp/kidsap/downloadfr1/htm/jsd38789.htm
和歌山県
「和歌山県」の県名は、「和歌浦」に由来するとされます。現在の干潟一帯は、古くは「弱浜」と表記され、「わかのはま」や「よわはま」と呼ばれていました。その後「若の浦」の名称が使われるようになり、平安時代になると「和歌の浦」の表記も出てきます。
さらに1585年、羽柴秀吉が岡山に城を建てるにあたり、南の「和歌の浦」を合わせて「和歌山」と呼んだことが決定的な契機となりました。江戸時代には「若山」に統一しようという動きもありましたが、結局「和歌山」の方が残ったというのが経緯になります。
https://www.pref.wakayama.lg.jp/bcms/prefg/000200/kenmin/web/202112/tokusyu1.html
鳥取県
「鳥取県」の名称の由来は、「鳥取部(とりとりべ・ととりべ)」という古い職名にあります。
飛鳥時代の頃、現在の鳥取市久松山付近には湖や沼が広がっており、水鳥が多く棲息していました。一帯にはこれらの鳥を捕まえ、飼育したり大王に献上することを仕事としていた「鳥取部」という部民が住んでおり、ここから「鳥取」の名が生まれたとされています。
https://www.pref.tottori.lg.jp/172946.htm
島根県
「島根県」という行政機構は、明治4年11月に誕生しました。その際この名称がつけられたのは、県庁が置かれた地が旧島根群(現・松江市)であったためです。
「島根」の名称は、「出雲国風土記」では八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)が命名したとされています。また地形に由来した名称であるとして、島根半島が「島状の嶺」の形状をしていることから、「島嶺(しまね)」が「島根」となったと考えられるとする説もあります。
https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/seisaku/koho/kodomo/profile.html
岡山県
「岡山県」の県名は、県庁所在地である岡山市に由来しています。
「岡山」という名称自体は、もともとは現在の岡山城が建つ場所にあった小高い丘を指すものでした。戦国時代にこの場所へ宇喜多秀家が城を築き、天正元年には、宇喜多直家が本拠地をここへ移します。その後、出来上がった城下町も含めて、あたり一帯を「岡山」の名で呼ぶようになったというのが経緯になります。
https://kids.tokyo-shoseki.co.jp/kidsap/downloadfr1/htm/jsd38793.htm
広島県
「広島県」の「広島」は、県庁所在地となった広島市に由来しています。
この「広島」という名称自体は、天正17年(1589年)に毛利輝元が広島城を築く際、鍬入れの時に名付けたと言われています。「広」の字は、毛利氏の祖先である大江広元の「広」に由来し、「島」は、当地の豪族で普請奉行だった福島元長の「島」に由来するとする説が有力です。
またこれとは別に、地形のデルタによる「広い島」から来ているとする説もあります。
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/19/1168842433111.html
山口県
「山口県」の県名は、明治4年の廃藩置県に伴い、山口町(現・山口市)に県庁が置かれたことにより命名されました。
「山口」という地名は、地形に由来するとされています。この地は山あいの盆地で、東鳳翩山(ひがしほうべざん)の入り口周辺地域が「山口」と呼ばれていました。つまり、「山々の入り口」の意味で「山口」と呼ばれるようになったと考えられます。
また異説として、「山のふちの地」の意味の「やまふち」が「やまぐち」に転じたとするものもあります。
https://kids.gakken.co.jp/jiten/dictionary08100143/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9C%8C
徳島県
「徳島県」の「徳島」は、「名東郡徳島町」に由来します。
この「徳島」の名の起源は、戦国時代末期にさかのぼります。当時新たに阿波国に入った蜂須賀家政は、吉野川の河口に新しい城を築き、町を開くことを決めました。この地は助任川などの川に囲まれた島状の地形であったことから、縁起の良い「徳」の字を加えて「徳島」と名付けられます。ここから徳島の名が定着していくこととなった、というのが経緯です。
https://www.topics.or.jp/articles/-/525265
香川県
「香川県」の「香川」は、「香の川」に由来すると言われています。
かつて同地の奥山に樺川(樺河)という川があり、そのほとりには樺の木が生えていました。この木の香りが川の水にも移って流れたことから、「香川」の名が生まれたと「全讃史」という書物に書かれています。
平坦な草地を意味する「かが」に「川」を加えたとする説などもありますが、奈良時代に「香河群」という呼び名が存在しことからも、「香る川」の意であると見るのが妥当と考えられています。
https://www.pref.kagawa.lg.jp/kocho/shokai/profile/iware.html
愛媛県
「愛媛県」は、明治4年の廃藩置県に伴い設置されました。その折「愛媛」の名が採用された由来は、日本神話にあります。
古事記上巻には、伊邪那岐の命と伊邪那美の命による国生みの記述として、「伊予の国を愛比売(えひめ)といひ」というくだりが見えます。この「愛比売」を「愛媛」と変えて県名にした、というのが命名の経緯になります。神名を県の名に冠したのは、全国で愛媛県のみです。
https://www.pref.ehime.jp/k/aramashi/kenmei.html
高知県
「高知県」の「高知」は、土佐藩山内氏の築いた城下町の名に由来します。
山内一豊は土佐に入府すると、土佐平野の大高坂山に城を築き、その周囲に城下町も整備しました。この城は最初「大高坂山城」と呼ばれましたが、川に囲まれた地形にあったことから、「河中山城(こうちやまじょう)」に改名されます。しかし洪水が多いため、二代藩主の山内忠義が「河中」の字を嫌い、慶長15年(1610年)に「高智山城」と改められました。
これがやがて「高知城」に変化し、町の名も「高知」となったというのが経緯になります。
https://kids.gakken.co.jp/jiten/dictionary02500275/
福岡県
「福岡県」の「福岡」という名称を当地に持ち込んだのは、黒田長政です。
慶長6年(1601年)に当地の新領主となった長政は、古代鴻臚館跡地に城と町を築きました。そして、その町を自らのルーツである備前福岡(現・岡山県瀬戸内市長船町福岡)にちなみ、「福岡」と名付けたとする説がよく知られます。
それに対し、「福崎の丘陵地」に築城したために「福岡」とした、とする説もあります。
https://www.city.fukuoka.lg.jp/hash/news/archives/53.html
佐賀県
「佐賀県」の「佐賀」は、明治4年の廃藩置県に際し、「佐賀郡」に県庁が置かれたことで付けられたものです。「さが」の名称は古くからあるものですが、表記には「佐嘉」と「佐賀」の2種類が混在していました。これが明治3年になって「佐賀」に統一され、現在に至ります。
「佐賀郡」の由来は諸説ありますが、有名なのは次のものです。すなわち、「当地に楠が多く生えている様子を見た日本武尊が、ここを“栄(さか)の国”と呼ぶようにすすめた」という肥前国風土記の記述から来ているとする説になります。
https://www.pref.saga.lg.jp/kiji0032157/index.html
長崎県
「長崎県」の「長崎」は、「長崎氏」という氏族名に由来する説が有力です。
長崎氏は桓武平氏千葉流に属する氏族で、現在の長崎県庁舎付近に居を構えて、長崎港界隈の広い範囲を治めていました。ここから「長崎」の名が地名として浸透したとされます。
またこれとは別に、野母崎半島についての方言「長か岬(ながかみさき)」が転訛して「長崎」となった、とする説もあります。
https://fumakilla.jp/foryourlife/572/
熊本県
「熊本県」の「熊本」は、古くは「隈本」と書かれていました。南北朝時代以降の文献には、この表記が散見されるようになっています。後に「熊」の字が当てられるようになったのは、加藤清正が「隈」は「畏(おそれる・かしこまる)」に通じるとして嫌ったためと言われています。
「隈本(くまもと)」の由来は、「川の屈曲部」を意味する「クマ」にあるのではないかとする説もありますが、はっきりとは分かっていません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C
大分県
「大分県」の「大分」は、「豊後国風土記」の記述に由来するとの説があります。
これによると、景行天皇がこの地を訪れた際、その広大さをたたえて「碩田国(おおきた)」と名付けるよう言ったとあり、これが「大分(おおいた)」へ変化したとされます。しかし、この記述は大分平野の実状に合わないことから、実際は「多き田」が語源ではないかとする説が近年は優勢となっています。
https://www.pref.oita.jp/soshiki/10400/symbol04.html
宮崎県
現在の宮崎地方は古くから「みやざき」と呼ばれており、これが群名に採られて「宮埼郡」となります。平安時代になると、「宮崎郡」の表記に変化しました。
この「宮」は、神武天皇の宮居(皇居)を指すと言われていますが、文字通り「神宮(神社)」を指すとの説もあります。「崎(埼)」は「岬」を指すとも言われますが、「あたり」「所在地」の意で、かつてそこに「神武天皇社(宮崎神宮の前身)」があったことを指すのではないかとする考えもあります。
鹿児島県
「鹿児島(かごしま)」という名称は、薩摩国の群名として古くから使われてきました。「倭名類聚抄」では、「かこしま」の形で記されています。
語源は定かではありませんが、次のような説が言われています。1つは「桜島」を指す「カゴ(崖の意)島」に由来するとする説で、もう1つは「鹿の子供が多く生息していたため」とする説です。また、「火山」を指す「カグ」という言葉から来ているという説や、「水夫(カコ)がたくさん住んでいたから」などという説もあります。
http://www.pref.kagoshima.jp/ab23/pr/gaiyou/rekishi/bunka/yurai.html
沖縄県
「沖縄」という言葉は、もともと沖縄本島のみを指すものでした。これが沖縄県設置にあたり、沖縄諸島・先島諸島全域が「沖縄」と呼ばれるようになるなど解釈が拡大され、現在に至っています。
「沖縄」という言葉の由来については、さまざまな説が唱えられています。代表的なのは、「沖」はそのまま「沖合い」の意味で、「な」は「魚」、「わ(は)」は「場」を表すとし、「沖合いの漁場」を指すというものです。他に、「おき」は「遠い」、「なわ(なは)」は「場所」「島」の意味で、「遠い場所(島)」を指すとする説などもあります。
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